自分を知ることで根拠のない自信ができる。わたしはわたしであるという感覚。
あなたは今、恐れを感じているのか、怒りを感じているのか、悲しみを感じているのか、それとも喜びを感じているのか。
それを知ってる?はっきり認識してる?
あなたが、今 本当に自分が何を感じているか知っている事。それはとても大切。
以前の私のように、自分の感情に気づかずに流してしまう癖のある人がどれほど多いことか。でも、決して流してしまうことなんてできず、それは内面に蓄積されるだけ。
そのはっきりしない蓄積されたものによって、私達は、もっと他人を責める(攻撃する)傾向を強めたり、もっと自分を責める(自己卑下する)傾向を強めたりする。
その結果、物事がうまくいくための行動が選べない。だから、うまくいかない。
もしくは、行動すらできない。
あなたが自分の感情を感じる癖をつければ、あなたには自信が出てくる。それは、何かを成し遂げたからできる(DOING)自信ではなくて、
わたしは、わたしを 知っている。
という自信。
わたしは、わたしを 理解している。
という自信。
その結果、あなたは 自然体でいられるようになってくる。無理をしなくなってくる。
例えば、人に嫌われたくないためにいつも愛想をとったり、仕事ができないと思われたくないために不得意分野で無理に勝負しようとしたり、、恐れからの行動が減る。
わたしは、わたしを 知っている
というのが、最終的には、
わたしは、わたしである
という何ともニュートラルな自信に変わる。 ニュートラルな自信、というのは言葉ではすごく伝えづらい。 自信というと、人よりできる、人より状態が良いという感じなのだが、そこには、人よりも~、という感覚はない。まさに、わたしはわたしである、
という感覚。だから、自信という言葉を使うのは間違いなのかもしれない。
この、わたしはわたしである、という感覚はあなたを自然体にしてくれる。あなたは他人よりプラスでもなくマイナスでもないと知っている。その自然体こそが、あなたの魅力や才能を最大限に引き出せる状態なのだと私は思う。
小さな一例を挙げれば、わたしは今住んでいる国の言語が100%話せないことから人の集まる場所ではなかなか自分を出せずに自信をなくしていた。そんな気後れから自分から皆の話題に入ることもできず、向こうから話しかけてくれる人もいない。大勢の中にいて話し相手のいない自分、というのが本当に辛かった。
それが、わたしはわたしである感覚ができてからというもの、私は大勢の中に1人でいてもあまり気にならなくなり、無理に誰かと話そうともしなくなった。そうするとなぜか向こうから話しかけられたり、自然に皆の話題に入っていた、ということが起きるようになった。たまに自然に面白いことを言って人を笑わせたりして自分でもびっくり。
おそらく、その理由は
わたしが自然体になった。
これにつきる。
(言い方を変えれば、ありのままになった=自己否定しなくなった=エゴが活性していない状態、、etc,,,。)
人に嫌われないか、つまらない人間とおもわれないか、などと恐れのもとにする行動は
あなたの魅力をきっとかき消してしまうだろう。
魅力のない人間などいない。しかし エゴと呼ばれるものによって私達はそれを覆い隠す。覆い隠したその上にある仮面を自分だと思い込む。
自分をもっと知ろう。
今、悲しんでいる。
今、怒っている。
今、喜んでいる。
(私の場合、最低でも40分ほどはその感情に向かい合うことにしている)
そうやって感じていると、
こんな時に悲しむのが、自分だ。
こんな時に怒るのが、自分だ。
というのもわかってくる。そして
それらは自分の持つ無価値感が刺激されて、その感情が起きるのだ、ということもはっきりわかるようになる。だから、大丈夫なのだ。人間ってわからないことが一番怖いらしいからね。
是非、やってみてほしい。時間はかかる。でもタダで自分が変えられるなら安いよね。
やり方のひとつとして、こちらもご参考に。