苦悩は喜びのために

浄化をライフワークとする私のスピリチュアル・心理学徒然

全てをあきらめた日から潜在意識レベルで自分を変えることができる

あなたとあなたの周りの人の関係の中に、自分の自分に対する想いが隠されています。

   誰かに理不尽な想いをさせられたと、苛立っている時

   誰かに悲しい想いをさせられたと、落ち込んでいる時

   なぜだかわからないけど、誰かと起こった出来事にモヤモヤしている時

   (このモヤモヤほど追求する価値があると思っています。大物が浄化できそう)

あなたの中にいるもう1人のあなたが、あなたのことを恥ずかしい存在だとか、ちっぽけな存在だとか、価値のないかわいそうな存在だ、と言いながらあなたのことを見つめてはないかっ疑ってみるといいです。

まず、そんな自分に気がつくことです。

 

もし、あなたが今、苦しんで苦しんで苦悩の真っ只中にいるのなら、その自分に気づくことは難しいことではありません。むしろ気づくために苦しみが起こっているのだから。それが人間関係での苦しみでも、人間関係でなく単なる状況としての苦しみでもです。

もし、気づくことができたなら、いつか自分には価値がないと思って生き続けてきた、そんな自分をもうやめようと思う本当の日が来るはずです。本当の日と書いたのは、嘘の日もあるからです。

苦しみの中、そのもう1人の自分に気づくまでは速かったのですが、そんな自分をどうやったらやめられるかと思いながらも、本当の本当にやめたいと思ってはいなかった為、その本当の日までにすごく時間が掛かったように思います。

  その本当の日とは、  全てをあきらめた日であり、

             もうこんな自分をやめようと心から決断した日であり、

             潜在意識レベルで自分が変わり始めた日

なのだと思います。

変わりたい、変わってもっといい人生を手に入れたいと思いながらも変われず、人生を全てあきらめた日から自分が変わり始められたとは、皮肉というか、おかしなものですね。

 

全てをあきらめる、ということは

 

   他人より価値がある(優れている)必要もなくなり、

   他人に嫌われる心配する必要もなくなるから。

 

用はもうどうでもいいやけっぱち人生っていうことなので。何をしようが関係ないわけです。わかりますか?

 

私で言うならば、

   自分に価値のないことが明らかになる恐れから、せめて他人に嫌われないようにと、他人に気を使って生きる必要がなくなった、ということ。どうでもいいあきらめ人生なので、他人に気を使うメリットがなくなったんですね。この辺りわかるでしょうか?

こうして、他人に気を使う自分をやめた時、なんかスルッと一つ上へ抜けたような感覚、視野が広がったような感覚があり、もしやこれがパラダイムシフト?

そこは今まで見たことのない景色、な感覚。

そして具体的には、 他人に気を使わなくっても大丈夫なんだ。

          不機嫌を見せても大丈夫なんだ。

          はっきり いやだと言ってもいいんだ。

そんな感覚。そしてそれに付随してついてくるなんか意味のない自信。

でも、これ、結構意識していないと、元の気弱な自分に戻りそうではあります。油断すると、また他人の目を気にしたり。

でも、ここまで来た私なので、大丈夫だと思ってるんです。それは、今の私は前の私に比べて格段に自分の発するエネルギーに敏感だからです。そのエネルギーに気づくことができれば、また方向修正できるというわけです。浄化ワークのおかげですね。

 

人生を全てあきらめなければ、潜在意識レベルでは変われなかった。私の場合はそうでした。

 

 

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