神を憎むまで苦しむと苦しみに飽きるかも
みなさん、苦しんでますか?
それとももうその苦しみから脱出されたでしょうか?
今日のテーマについて書く前に一言お断りを。
私は苦しみの最中、色んなブログを読み漁りました。恐らく皆さんもそうかもしれませんね。その時いつも思ったのが、どうしてもっと具体的な経験を書いてくれないんだろう?話はなんとなくわかるけど、具体的にどうやったら、どうなった、っていうのが知りたいのに。抽象的なことが多かったんですね。
ま、今思うと具体的に書かれていても、本人の準備ができていなければ(苦しむところまで苦しんでいなければ)どちらにしても同じことなのだとは思うのですが。
でも、やっぱり知りたいんですよね~。ただ単なる話ではなくって、誰かが本当に体験してこうなった、ってやつ。そんなことありませんか?
という訳で、なるべく体験として具体的に書こうと思うとですね、文章力のなさから必然的にだらだら~っとした記事になってしまうので、あしからず、ごめん。(いつかは改善するつもりあり)
では、本題っ。
"苦しみに飽きるまで人は苦しみ続ける”
今日はそれについて。
何を隠そう、この私。今まで誰よりも善良で、あなたのことを嫌いな人なんていないわ、とまで言われてきたこのワタクシ。
そんなワタクシですが、なんと、
神を憎んだんですね~!!それも(心の中ではありますが)大声で、叫んで、
罵って!!
自分で言うのもなんですが、今まで結構 清い女子路線できてます、私。
いい年して清い女子路線ってのもなんですがね。
他人の嫌がることしない、他人の悪口言わない、今回相当酷い目にあったけど、相手を
ドロドロと憎しみ恨み続けたりしない、相手のせいにせず、自分の中を変える方向で人生を詮索する。できるだけあるものに感謝して生きる などなど。
こんなに清い私が、神を憎しみ、恨みつらみを吐き出したのです!
”こんなに酷い目にあっても、未だ前向きに、他人を憎まず、ひたすら自分の
内面を見て自分を変えようとした私なのに、あんたは何にもしてくれやしない!!
あんたのことなんてもう信じやしない!
こんなんだったら、もうあんたを憎み続けて生きてやる!いい人でなんていない!
あんたに見せ付けるかのごとく、いい人でいるのをやめてやる!!”
上記はほんの一部です。もっといっぱい叫びましたよ、天のあの方に。そして守護霊様にもね。
そして、その日、わたしは本当に
いい人でいるのをやめよう。反対の行き方をしよう。
って思ったんです。
ついでにどうして神を憎んだかというと、堪忍袋の緒が切れたってやつです。
この苦しみは私の内面が生み出したものだから、内面を真摯に見つめ続ければ、いつか
きっと変化がおきて、これで良かったって思えるはず。現実だって変わるはず。ねっ、神様!守護霊様、宇宙様って信じて長いことやってきたのに、なんも変わらんじゃんか!もうがまんできね~!ってことになったんで
泣いて泣いて泣きましたよ。(泣くの超得意)
何よりもこの自分が神を憎むっていうのがびっくりで、そしてそこまで落ちるほど
(神と反対になろうとするぐらいですから)苦しめられていることにまた腹が立ち、、。
それまでは苦しいながらにも、今回起こったことの意味(何か変える必要があるということ)がわかれば何か現実も変わる、っていう期待があったのです。というか、それが頭になければ生きる気力もなかったでしょう。
でもここまで来て、観念したんです。もう無理だ。もう何もない。いい現実なんてやってこない。だって目に見えない存在なんて本当はいない。いても何もしてくれない。
だから、私は、
この何もない、このかわいそうな人生を、歩んでいこう。仕方なく。
っ思ったんです。
降参 ってやつです。
人生をあきらめるのだから、もういい人でいる必要もない。なにより腹が立つから
いい人と真逆で生きてやる。
後になって考えると、こうやってどうやら私は苦しみに飽きたみたいなのです。
で、それによって、本当に得たかったもの(魂が望んでいたこと)を手にいれたみたいなのです。それについてはもう少し後で触れますね。
まあこうやって、その日、いい人をやめて生きると決めた私なのです。なぜなら、人生に怒っていたから。
神を憎むまで苦しんで得たもの
1 今の悲惨な状況を受け入れられた。(こんな人生でも生きてはいける、どうでもいいや、みたいな感じ。ある意味悟り。)
2 他人の目や他人の気持ちを気にするのをやめ始めた。
1 と 2 の結果、なんか根拠のない自己肯定感みたいのが芽生え始めた。
→ その結果、不要な行動をしなくなってきた
→ その結果、やりたい行動や、やるべき行動がちょっと楽にできるようになってきた。
いい人をやめることはあなたの人生にギフトをもたらします
今、本当にそう思いますよ。わたしはいい人を辞め始めたばかりの新米ですが、
そんな私でももうギフトを感じるくらいですから。
簡単ではありません。揺れ戻りがあるからです。いい人人生が長いほど、すぐにいい人をやめられないのです。それはもう癖、習慣として私達の心や身体や細胞にしみついているのです。だから、ちょっと油断するとまた他人の目を気にしたり、自分より他人の気持ちを優先して行動してしまうのです。でも、それに気がついて、そんな自分とまた対話していくと戻れます。三歩進んで二歩下がるの繰り返しですね。
とりとめもなくだらだらと書きましたが、要はどん底まで落ちるのが結構大事だったりする、ってことでしょうか。
それでは、また!